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亀田藩の境界争い
1678 亀田領繁村と秋田領の女米木村の境界争い。
牛厩館の田畑の領有権を争う。
和解するも度々ぶり返し、1813確定。
1700〜1702 亀田領羽広村と秋田藩八沢木村の境界争い。
秋田藩の勝ちか?
1751〜1764 亀田領滝俣村・君ケ野村と秋田領女米木村の境界争い。
大平薬師から高尾山に続く峰の境界を争う。
解決不明。
1772〜1813 亀田領君ケ野村と秋田領女米木村の境界争い。
秋田藩の勝ちか?
1712〜1842 亀田領中館村外5カ村と本荘福田村外6カ村の真木山の入会権争い。
真木山は内越郷の山林原野千町歩であり、岩城氏六郷氏の入部に際し、
内越郷は2分されたが、真木山も2分された。
本荘、亀田の立ち入り禁止を求めて提訴。
1716 第1次裁許 亀田前面敗訴 真木山は本荘領 入山禁止
1789 第2次裁許 亀田敗訴 真木山は本荘領 入山料が必要
1839 第3次裁許 亀田勝訴 真木山は2分割
1866 第4次裁許 亀田勝訴 入合権確立
1789 亀田藩と本荘藩による、子吉川河口付近の境界争い。
子吉川と芋川の合流点から河口までの境界を争う。
港湾設置権 内水漁業権 海上漁業権 も絡む、重大問題。
亀田勝利。
1832 大正寺中北野目村藪台谷地の境界争い
矢島藩と秋田藩が争っている入会地で、亀田藩が新田開発したため、
(6132石はいかにも多すぎないか?)
矢島領大沢村が、亀田領北野目村他と秋田領寺館尻引村他を提訴。
境界が入り組んでいるため、村替えで解決。
幕府のひとり勝ち。
亀田領からは、北野目村 同新田 三条川原村 が、秋田領に編入。
矢島領からは、宿村 寺村 寺館尻引村 が、秋田領に編入。
秋田領からは、下野国内の秋田領を取り上げ。
1603 最上氏由利領を与えられる
1622 最上氏の改易に際し 秋田藩の希望により 由利領の百三段郷3ケ村と
秋田領の大沢郷4ケ村(北野目・円行寺・三条川原・木売沢の一部)
を交換。
1622 本多正純由利転封により、大沢郷4ケ村を含む由利領を所有。
1623 本多正純秋田藩預かりの際、預かり料として
大沢郷宿 寺 寺館の一部 木売り沢の一部 のみ与えられる。
1623 由利領には、亀田藩 本荘藩 矢島藩 仁賀保藩がそれぞれ転封
1637 本多正純死去により、所領は矢島藩に与えられる
1866 本荘藩 鰊舟事件