とんてん館
(子供学校いろいろ)
その昔、おもちゃは、自分で作るものだった。
皆、肥後の守を持っていた。
いつも、ポケットに入っていた。
今なら、学校の先生が、大騒ぎするだろうな。
これは、妻の兄の話だが、
友達みんなで、木刀を作って、ちゃんばらをした。
全員かぶれた。
漆の木で作ったらしい。
遊ぶのにも知識が要る、いい例だ。
竹馬は良く作った。
竹で作るのは難しいから、もっぱら木で作った。
竹馬といっても、そんじょそこらの竹馬とは違う。
それに乗るためには、まず屋根に上がらなければならなかった。
竹馬に乗るのに、必ずしも2本必要な訳ではない。
ホッピングを買えないので、
竹馬でホッピングした。
竹馬も無ければ、スコップでやった。
弓も作った。
2メートルもある弓である。
紡績をつるにしたが、すぐに切れてしまう。
親父に、ピアノ線を買ってきてもらった。
矢は竹である。
3寸クギを先に付けた。
威力は絶大である。
缶からの的は突き抜けてしまう。
石弓も作った。
命中率はバツグンである。
しかし、引き金の細工が難しい。
非常に危険なしろものだった。
ウクレレも作った。
板を曲げる技術は無いから、画用紙で間に合わせた。
塗装もしたから、一応立派な出来栄えだった。
音もちゃんと出た。
が、音色はいまいちであった。
船も作った。
1号艇はタライ船である。
竹ざお2の本の間に、タライ3個を縛り付けただけのものである。
どうやって縛り付けたかは覚えていない。
ただ、かなり難しそうだとは想像される。
タライを3個使ったということは、3人以上で作ったのだろう。
近所の女の子を乗せていた時、ひっくり返ったらしい。
しかし、そんな都合の悪いことは、忘れることにしている。
2号艇は、長さ3.6メートルの箱船である。
棺おけと間違われると嫌なので、逆台形にした。
これに、トタン板を貼り、半田付けした。
半田と塩酸と半田ごては、親父に買ってもらった。
七輪に火をおこして、こてを熱した。
半田付けは、かなり難しい作業だった。
この2号艇は、中学校の野球部に借りだされ、
沼に落としたボールの回収に大活躍した。
しかし、菱だらけの沼で、乗っても良かったのだろうか。
3号艇は、まともな格好のものである。
しかし、格好だけは船の形であるが、相変わらずトタン貼りである。
1.8mと小さかったので、安定が悪かった。
試乗だけで終わった気がする。
昔の鉛筆のキャップには、穴が無かった。
そのキャップに、カラーを細く切って詰め、口を細く絞ればロケットの完成である。
これをローソクで熱すると、よく飛ぶ。
ある時、もっと飛ばそうと、100連発の火薬をほぐして詰め込んだ。
詰める時に力を入れすぎたのか、暴発した。
ロケットでなく、指がとぶところだった。
亀田は模型飛行機の盛んのところだった。
3年連続で、全県を制覇したこともあった。
種目は次の4つである。
A級 プロペラ機の小さいもの 滞空時間競技
B級 プロペラ機の大きいもの 滞空時間競技
C級 グラーダーの小さいもの 滞空距離競技
D級 グライダーの大きいもの 滞空時間競技
ABD級は、円を描いて飛ぶように作り
C級は、まっすぐ飛ぶように作る必要がある。
ノウハウは、もう忘れた。
ミゼットという、三角翼のA級でも一番小さいキットがあった。
当時、確か50円であった。
しかし、1日10円の小遣いの身にとっては、大金である。
このミゼット、赤平田んぼから飛ばしたら、高城山を越えてしまった。
1回50円。高い買い物だった。
ワインダーという、ゴムを巻く機械があった。
1回ハンドルを回すと、10回ゴムを巻くという機械である。
ひと月、タキ家(駄菓子屋)通いを我慢して、手に入れた。
妙に嬉しかったのを、覚えている。
模型飛行機も、子供のこづかいでは、なかなか手が出ない。
幸い、我が家は元大工である。
そこで、竹ヒゴとニューム管だけ買って、あとは手作りした。
グライダーなら簡単である。
我が家の作業場の天井は、格納庫と化した。
10年程前、ペットボトルロケットを盛んに作った。
小学生の指導を2回している。
県の教育委員会の依頼で、おとな相手に講師をしたこともある。
いろいろ細工してみたが、普通の作り方が一番飛ぶようだ。
グラウンドの端から端までは、普通に飛ぶ。
今、我家には発射台が4台ある。
しかし、噴射口とウレタントップだけは、PCAJから買わねばならない。
近頃は、廃品利用ではなくなってきている。
PCAJでは、キットさえ売っている。
初心を忘れたか。
息子が6年生の時だったと思うが、PTAで、学校の庭に竪穴式住居を立てた。
図面は、図書館で調べ、私が描いた。
材木とかやをあつめ、「かやで」の指導の元、子供たちと親達で、組み立てた。
地面を掘る訳にはいかなかったので、掘っ立て小屋になった。
立派な、竪穴式住居に仕上がった。
しかし、中に入ると、すきまだらけだった。
当時も今も、かやを集めるのも大変である。
小学生10人とキャンプしたことがある。
キャンプ場で、ではない、山のてっぺんで、である。
あらかじめ、水は無いぞ、トイレも無いぞ、テントも持っていかないぞ、
と断った上で募集した。
それでも、10人。
しかも、その内女の子が5人である。
水は、各自ペットボトル2本づつ持ってきてもらった。
トイレは、穴を掘り、木を渡し、ブルーシートで囲った。
テントは、製作図を用意しておき、ブルーシートで作った。
感慨深いキャンプであった。
亀田小学校道川小学校合わせて40人でキャンプしたこともある。
この時は、少年自然の家の広場にテントを張った。
テントサイトが有っても、それを使わないところが、私達のいいところである。
初日は、ペットボトルロケットを作った。
100m先の林に、バンバン打ち込んだ。
翌日、川に手づかみに行った。
気が付くと、大きい女の子が、小さい女の子を負ぶって歩いていた。
確かに、小さい子には深場は渡れない。
なんとなく、うれしかった。
あの、さがいうてな君は、今どうしているかな。
象潟の中島台でも、2回キャンプしている。
亀田小学校道川小学校合わせて20人くらいである。
ここは、いいキャンプ場である。
@ 管理人が居ない。(10月だったせいであるが)
A キャンプする人がいない。(10月だったせいであるが)
B テントサイト、は芝生である。(とにかく広い)
C テントは、どこにでも張れる。(テントサイトは決まっていない)
D 水は天然水である(にごることもある しかし腹はこわさない)
E トイレは、いい臭いを立てている。(自然だ)
F ハイキングコースがある。(1時間半)
G 奇形のブナ(代表あがりこ大王)をたくさん見れる。
H 炭焼き釜の跡をたくさん見れる
I 熊のツメ跡を見れる(もう消えているかも)
J 鳥海マリモを見れる(阿寒湖のマリモとは違う)
K 貴重なコケをたくさん見れる(凡人にはその貴重さが判らないが)
キャンプ場までは車で行ける。
ハイキングだけでも、言ってみるといい。
1回目は、自然観察員の方に、山の案内をたのんだ。
自然のプロは、我々とは違う。
2回目は、夜中に雨が降った。
多くは、管理等に逃げ込んだが、そのままテントに寝たものも少なくなかった。
しかし、キャンプをすると特に感ずるが、子供たちが気にかかる。
@ 自分で考えて、すすんで動くことをしない。
A ひとりでは、やろうとしない。
ひどいやつは、
トイレに行ってきていいですかと、いちいち聞きに来る。
だめだ、と、どやす。我慢できなくなれば勝手に行くだろう。
朝ご飯まだあ、と催促にくる。
お前の分は作っていない、と、どやす。しかたないから、自分で作だろう。
以前、町主導の子供向けサークルが15有った。
私も、その中のひとつである「遊び隊」を運営していた。
前記のキャンプもその行事の一貫である。
ただし、キャンプは3つのグループの共同である。
遊び隊では、6月には、大野堰を探検していた。
取水口から海まで、堰沿いに歩いた。
往復8kmである。
海に着けば、必ず泳いだ。
1回目の時は、フリチンだった。
2回目からは、女の子もいたので、水着を用意させた。
遊び隊では、半年かけて、カヌーも作った。
塩ビパイプで骨組みを作り、ブルーシートを貼った。
学校のプールで、進水式をした。
皆、面白がって、わざと転覆させていた。
このサークル活動は、平成4年から始まった。
が、平成11年、県の補助が無くなったからと、止めてしまった。
金が無ければ、何にも出来ないのか。
金が無くたって、続ける方策はあるだろう。
私は、補助してもらうのが嫌だったので、子供たちに負担させていた。
小さな町から、大きな人を出すのではなかったのか。
その何年か後、人材バンクを作る話が役場からあった。
一回目の会合で、これはボランティアなのだから、役場は何もしないという。
町民から支援の要望があったら、各自勝手にやってくれという。
頭にきたから、
ボランティアは自主的にやるものである。
役場の音頭取りで始める以上、これはボランティアでは無い。
と言ってやった。
こういうものには、怪我だの事故だのの責任問題がからむ事を、経験上知っているからだ。
遊び隊等についても、役場と学校が保険をかけていた。
その後、私には、お声がかからなかった。
亀田小学校には、長期宿泊キャンプと言うものがある。
6年生が、1週間、岩城少年自然の家から、学校に通うのだ。
キャンプだから、当然、食事(夕食だけだが)も自分たちで作る。
この、キャンプ中、夕食後、横笛を教えてやってくれとたのまれた。
快く引き受けたのはよいが、肝心なことを忘れていた。
笛が無いのである。
気合を入れて、塩ビパイプで作った。(電気工事用の14ミリパイプ)
40本作った。
この笛は、今も小学校に有る。
その後、亀田小学校の児童が少なくなって、
道川小学校と合同で長期宿泊キャンプをすることになった。
これをもって、笛の指導も終わった。
(私が教えたのは、亀田地区で行われる旧藩祭の時に、子供たちが踊る曲なので、
道川の子供達には関係がないため)
しかし、笛の指導そのものは、途切れなかった。
亀田小学校に出向いて、6年生全員に教えることになった。
旧藩祭のひと月前から、教えるようになった。
そのうち、上手な子は、旧藩祭で吹きたいと言い出した。
願ったりかなったりである。
今は、6年生全員には教えていない。
あらかじめ決められた、旧藩祭で笛を吹く子だけに教えている。
(私としては、全員を希望したいのだが)
期間も、2週間と短くなった。
そのため、夜も、大人に混じって、練習している。
今年の旧藩祭では、小学生5人と中学生4人が、吹いた。
祭り囃子は、寄せ囃子 どしゃ囃子 祇園囃子 剣囃子の4曲である。
このうち、子供に教えるのは、どしゃ囃子だけである。
しかし、練習場所には、全ての楽譜を貼ってあるので、
ひとりでに練習し、覚えてしまうのである。
来年も、こうであって欲しい。
と書いたが、少しウソがある。
今の中学3年生までは、1ケ月間の練習期間が有ったので、
4曲全て、覚えてくれた。
しかし、今は2週間しかない。
どしゃ囃子を覚えるのが精一杯である。
何しろ、初めて横笛を吹く子供たちである。
音を出すだけで、1週間はかかる。
と言う訳で、なんとか、練習時間をふやす方策は無いものかと考えてはいた。
そして、今年(平成17年)ついに笛吹き隊を始めた。
子供たちが、もっと吹きたいと希望したからである。
1回目(8/21)は、小中合わせて9人集まった。
2回目(9/18)は、2人しか集まらなかった。
熱し易く、冷め易いのか。
ちょっと、先が心配である。
先日、亀田小学校から、学校開放行事として、笛をやれないかと問い合わせがあった。
10月から2月までの5ケ月間、第3日曜日が出番である。
大いに期待している。