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インドの仏教とは
古代インドの歴史
古代インドでは侵略の嵐が吹き荒れ、そのため多民族国家となりました。
歴史上存在した言語は2000以上もあり、現在使われているものだけでも800以上です。
公用語は19あります。(内ひとつは英語です)
西暦 |
王朝 |
王 |
出来事 |
BC3500頃 |
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西アジアからドラヴィダ人(タミル人)が 侵入。インダス文明が起こる。 |
BC1500頃 |
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南ロシアからアーリア人(白人)が侵入。 バラモン教が成立する。 アーリア人は上層階級、 ドラヴィダ人は下層階級となる。 |
BC1000頃 |
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アーリア人はガンジス川流域へ移動。 アーリア人とドラヴィダ人との混血が 始まり、ヒンズー教成立の契機となる。 アーリア人はドラヴィダ人に吸収され、 自然消滅することになる。 |
BC500頃 |
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諸国の抗争による混乱の中で、 ウパニシャッド哲学が起こり、 その影響により、仏教 ジャイナ教 六師外道の思想家たちが出現する。 |
BC463 |
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釈迦誕生 |
BC383 |
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釈迦入滅 享年80歳 |
4ケ月後 |
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第一回仏典結集 |
BC322 |
マウリア朝 |
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BC300頃 |
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第二回結集(根本分裂) |
BC268 |
マウリア朝 |
3代 アショカ王 |
全インド統一 仏教が国教になる バラモン教のヒンズー教化が始まる |
BC200頃 |
マウリア朝 |
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第三回結集。 経典が書かれる。 |
BC100 |
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上座部11派 大衆部9派に分かれる (部派仏教) |
AD45 |
クシャーナ朝 |
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仏教を保護 ガンダーラ仏誕生 大乗仏教誕生 仏教が中国(後漢)に伝わる |
130 |
クシャーナ朝 |
カニシカ王 |
第四回結集 三蔵(経蔵 律蔵 論蔵) の解釈論を編集 |
2世紀中頃 |
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龍樹が現われ、大乗の考えをまとめる |
3世紀頃 |
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サンスクリット仏典の漢訳が始まる |
AD320 |
グプタ朝 |
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ヒンズー教が国教になる 仏教も、教義の研究は盛んであった |
AD384 |
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中国から百済に仏教が伝わる |
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マウリア朝 クシャーナ朝 |
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仏教を保護 バラモン教のヒンズー教化 |
AD538 |
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百済から日本に仏教が伝わる |
AD606 |
ヴァルダナ朝 |
ハルシャ王 |
仏教とヒンズー教を保護 |
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密教が誕生する |
AD955 |
ガズナ朝 |
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イスラム勢力 インド北西部侵入 |
AD1148 |
ゴール朝 |
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AD1203 |
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インド仏教消滅 イスラムによる破壊 |
AD1206 |
奴隷王朝 |
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イスラム勢力 |
AD1290 |
ハルジー朝 |
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AD1320 |
トゥグルク朝 |
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AD1413 |
サイイド朝 |
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AD1451 |
ロディー朝 |
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AD1526 |
ムガル帝国 (モンゴル) |
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ヒンズー教とイスラム教の融和を図る イスラム直系派(パキスタン) イスラム改宗派(バングラデシュ) ヒンズー派 の分けられる |
AD1600 |
東インド会社 |
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AD1858 |
ムガル帝国 崩壊 |
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AD1947 |
インド独立 |
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仏教の誕生
仏教の開祖である釈迦は、紀元前5世紀にインド(ネパールとも)で誕生します。
父はカビラヴァストゥ国(千葉県くらいのサイズ)の王シュッドーダナ、
母は妃マーヤーであり、ガウタマ・シッダールタと名付けられます。
生まれた釈迦は、すぐに7歩歩き、右手で天を指し、左手で地を指して、
「天上天下 唯我独尊」と話します。 注 この解釈は多数あります。
母は、1週間後に亡くなり、母の妹マハープラジャパティーによって育てられます。
王子でしたので何の苦労も無く育ち、16歳で結婚、長男ラーフラをもうけます。
しかし、17歳の時に、「生病老死」の四苦からは逃れられないことに気付き、
以後それについて考えるようになります。
29歳の時に出家し、パラモン教の3人の司祭達の教えを乞うですが、
いずれも望むものでは無いと理解します。
そのため、自分で悟りを開こうと、山に籠り苦行を続けるのですが、
いくら苦行しても成果が現われないので、6年後に山を降ります。
この時、共に苦行していた5人の従者(父王の命により警護していたとも)は、
釈迦が修業をあきらめたものと思い、城に帰ります。
注 当時は、跡取りを作ってから出家するのが、正しい方法でした。
しかし、釈迦は修行をあきらめた訳ではなく、
菩提樹の下で新たな修行方法である瞑想を行い、
49日後の12月8日未明、悟りを開くに至りました。
釈迦は、さらに49日間瞑を続け、最後にはこのまま成仏しようとしました。
しかし、3度にわたり現われたインド神話の創世主である梵天に
悟りの内容を人々に広めることをすすめられます。(梵天勧請)
注 ここで言う梵天は、土着信仰の最高神のことであると思われます。
これにより釈迦は、共に苦行した5人の仲間に最初の説法をします。
これが、仏教の始まりとなりました。
以降、80歳で入滅するまでの45年間、ガンジス川の中流域で仏教を広めました。
また、多くの人が釈迦の弟子となりました。
仏教には、身分制度が無かったので、カースト下層の人々からは歓迎されました。
さらには、司祭階級と対立していた支配階級からも、歓迎されました。
布教のため、インド土着の神々が仏教に帰依したとしました。
特筆するべきは、毘慮舎那や釈迦(過去仏としての)さえも、含まれていることです。
注 後述
仏教の変遷
釈迦は教えを口で伝えただけで、記録としては残しませんでした。
また、弟子達も記録することは有りませんでした。
当時、高貴なものは、記録することがはばかられたのです。
そこで、入滅4ヶ月後、500羅漢が集まり、経と律について確認を行いました。
これが、第一回仏典結集(けつじゅう)であり、7ケ月間続けられました。
ただし、ここでも文字化(経典化)は行われていません。
入滅100年後(BC300頃)には、700人が集まって第二回結集が行われました。
この会議は8ケ月間続けられました。
これは、戒律を厳格に守ることが難しい地域があったため開かれたものですが、
指導者層(上座長老)と修行者(大衆)との間の対立は埋まらず、
2派に分裂(根本分裂)してしまいます。
入滅200年後(BC200頃 マウリア朝アショカ王の時代)には1000人が集まって、
第三回結集が行われ、聖典編集会議が9ケ月間開かれました。
ここでやっと、経典が書かれました。
原始仏教の経典と言われるものも存在しますが、文書化されたのはこれ以降です。
アショカ王は、インドを統一し、仏教を国教としましたので、
インドの仏経は最盛期を迎えることになりました。
入滅後300〜400年頃(BC100〜0)、仏教はさらに分裂を深め、
上座部11派 大衆部9派(部派仏教)に分かれます。
1世紀に入ると、大乗の考えが生まれます。
上座部も大衆部も、出家信者のための仏教です。
釈迦は、救われるためには、出家し修行しなければならないと説きましたが、
これでは、ごく一部の出家信者しか救われないことになります。
働かない出家信者を支えている在家信者は、けっして救われないことになります。
そこで、釈迦の本当の目的は在家信者を救うことにあるという考えが生まれます。
それが、利他行の考えであり、大乗(多くの人が乗れる大きな乗り物)仏教でした。
注 現在では、小乗という言葉は侮蔑的な意味があるため、使いません。
1世紀頃、仏教が中国(後漢)に伝わります。
この仏教は、大乗仏教ですが、体系化される以前のものと思われます。
この頃、初めての仏像ガンダーラ仏およびマトゥラー仏が作られました。
2世紀中頃、クシャーナ王朝第3代カニシュカ王の要請により、
500人が集まって第四回結集が開かれました。
ここでは、三蔵(経蔵 律蔵 論蔵)の解釈論を編集しました。
同じ2世紀中頃、龍樹が現われ、大乗の考えをまとめます。
「中論」「大智度論」「十住毘婆沙論」等を著し、「空」の教えをまとめ
大乗仏教思想の基礎を築きました。
3世紀頃、中国で、サンスクリット仏典の漢訳が開始されます。
384年、中国から百済に仏教が伝わります。
538年、百済から日本に仏教が伝わります。
マウリア朝クシャーナ朝と、仏教を保護する王朝が続き、仏教は大いに栄えます。
反対に、バラモン教は、ドラヴィダ人の土着信仰との融合により生き残りを図ります。
つまり、シバ神のヒンズー教が誕生します。
320年 グプタ朝が興り、ヒンズー教が国教となります。
仏教もがんばりますが、次第に衰退していきます。
6世紀に入ると、ヒンズー教に吸収されるようになり、
ヒンズー教の1派となるものも出てきます。
逆に、ヒンズー教に対抗するため理論体系化が試みられ、密教が誕生します。
ここに、大日如来(大毘琉遮那仏)や曼荼羅が誕生し、中国に伝わります。
仏教の変遷を大まかに見ると、次のようになります。
入滅から 根本分裂 部派仏教
100年間 BC300年頃 各派成立
↓ ↓ ↓
原始仏教―┬―上座部仏教―――小乗11部派に分裂 タイ,スリランカへ伝わる
├―大衆部仏教―――小乗9部派に分裂
└―在家信者―――初期大乗(中観派)0〜250年 龍樹が確立 中国へ
└―中期大乗(唯識派) 400年頃 中国へ
└―後期大乗(密教) 700年頃 中国へ
629年 玄奘が、インドに来、仏教を学びます。
805年 最澄が、中国より天台密教を日本に伝えます
806年 空海が、中国より真言密教を日本に伝えます。
955年 アフガニスタンのイスラム勢力であるゴール朝に侵略されます。
イスラム教がインドに進出し、仏教は弾圧されます。
1203年 最後の仏教寺院であったヴィクラマシラー僧院が破壊され、
ここに、インド仏教は消滅しました。
以降イスラムの王朝が続きますが、イスラムとヒンズーの融合を図ります。
その結果、南部のヒンズー派と、北西部のイスラム直径派(パキスタン)と
東部のヒンズーからのイスラムへの改宗派(バングラデシュ)に分かれます。
そして、2国が独立し、インドはヒンズー教の国になりました。
仏様になったインドの神様
土着信仰 ―――――┬――――――――┐
自然崇拝―――バラモン教――――ヒンズー教―――――――┐
└――仏教―――――大乗仏教――――密教
イスラム教
釈迦仏教(原始仏教)・部派仏教の時代
仏教 |
古代土着宗教 |
バラモン教 |
ヒンズー教 |
備考 |
毘慮舎那 |
ヴァイローチャナ |
|
ヴァイローチャナ |
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阿弥陀如来 |
アミターバ |
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薬師如来 |
バイシャジャグル |
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釈迦牟尼仏 |
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シャーキ・ムニ |
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梵天 |
ブラフマー |
ブラフマー 最高神 |
ブラフマー 世界創生 |
ヒンズー教最高神 |
帝釈天 |
インドラ |
インドラ 最高神 |
インドラ |
|
閻魔天 |
ヤマ |
ヤマ |
ヤマ |
|
阿修羅 |
アスラ |
アスラ |
アスラ |
|
持国天 |
|
ドリタラーシュトラ |
|
東方を守護 |
増長天 |
|
ヴィルーダカ |
|
南方を守護 |
広目天 |
|
ヴィルーパークシャ |
|
西方を守護 |
多聞天 |
クベーラ |
ヴァイシュラヴァナ |
|
北方を守護 |
毘沙門天 |
クベーラ |
ヴァイシュラヴァナ |
|
多聞天の別名 |
釈迦は王子でしたから、バラモン教の信者であったと考えられます。
また、釈迦本人が自分のことを「真のバラモン」と呼んでもいます。
つまり、仏教では無く、バラモン教の1派のつもりだったのではないでしょうか。
ところが、カースト制度を認めなかったため、バラモン教から迫害され、
独立せざるを得なかったのではないでしょう。
釈迦が悟りを開いた時、その考えを広めるように勧めたのが梵天とされています。
つまり、バラモン教の最高神が仏教に帰依したということとし、
バラモン教の信者が改宗し易いようにしたのではないでしょうか。
当然、梵天だけを帰依させるとは考えられませんので、
多くの神が仏教の神になったのではないでしょうか。
釈迦入滅後、500年間は、仏像は一切作られませんでした。
釈迦は仏像を作るなと言いましたし。
自力本願の教義でしたので、仏像は必要なかったのでしょう。
それ以降も、上座部仏教では、釈迦牟尼仏しか作られていません。
ただし、仏はガンジス川の砂の数程いると、釈迦は言っています。
密教の時代
仏教 |
古代土着宗教 |
バラモン教 |
ヒンズー教 |
備考 |
摩訶毘盧遮那仏 大日如来 |
マハーヴァイローチャナ |
|
|
|
毘紐天 |
ヴィシュヌ |
ヴィシュヌ |
ヴィシュヌ 世界維持 |
ヒンズー教 3最高神の2 |
大自在天 |
シヴァ |
ルドラ |
シヴァ 世界破壊 |
|
自在天 |
|
|
イーシュヴァラ |
シヴァ |
吉祥天 |
|
|
ラクシュミー |
ヴィシュヌの妃 |
大黒天 |
|
|
マハー・カーラ |
シヴァの化身 |
鳥摩 |
|
|
パールヴァティー |
シヴァの妃 同一神 |
准胝観音 |
|
|
ドゥルガー |
|
琉璃圣母 |
カーリー |
|
カーリー |
|
弁才天 |
|
サラスバティー |
サラスバティー |
ブラフマーの妃 |
歓喜天 聖天 |
|
|
ガネーシャ |
シヴァの子 |
韋駄天 |
|
ムルガン |
スカンダ ムルガン |
シヴァの子 |
不動明王 |
|
|
アチャラナータ |
シバの別名 |
降三世明王 |
|
|
トライロークヤ・ビジャーヤ |
東方を守護 |
軍茶利明王 |
|
|
クンダリ |
南方を守護 |
大威徳明王 |
アスラ |
|
ヤマーンタカ |
西方を守護 |
金剛夜叉明王 |
|
|
バジュラヤクシャ |
北方を守護 |
孔雀明王 |
|
|
マハー・マユーリー |
四天王を統率 |
愛染明王 |
|
|
ラーガラージャ |
|
太元帥明王 |
|
|
アータヴィカ |
|
烏枢沙摩明王 |
マグニ |
|
ウッチャスマチャ |
トイレの神 |
仏教は誕生以来、国教となるなどして、おおむね大いに栄えましたが、
ヒンズー教が国教になると衰退して行きます。
中には、ヒンズーに取り込まれ、吸収されてしまう派も出てきます。
この場合、釈迦「シャーキ・ムニ」は、「ヴィシュヌ」の化身とされました。
一方、仏教を残そうとする派も現れます。
この派は、ヒンズーの神々を取り込み、密教となります。
明王および天部の神様は、ほとんどがバラモン教およびヒンズー教出身です。
大乗仏教では、多分たくさんの仏像を作ったと思います。
ただし、その後にインドを征服したイスラム勢に、全て破壊されてしまいました。
最後の仏教寺院が破壊されたのが、1203年でした。
現在インドでは、仏教が再興しつつあります。
スリランカからの仏教移入があり、低カースト層の集団改宗もありました。
現在では、仏教人口は、2千万とも1億人とも言われています。